![]() サンタモニカ航空博物館所有機 |
零式艦上戦闘機二二型/壁紙/(1280×960) |
零式艦上戦闘機二二型/壁紙/(1024×768) |
零式艦上戦闘機二二型/壁紙/(800×600) |
零式艦上戦闘機二一型/壁紙 (零戦二一型 A6M2b Wallpaper) |
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零式艦上戦闘機二二型は航続距離短縮という三二型の欠点を補うために急遽開発・生産された型で、1942年末から三菱のみで生産された。エンジンや胴体部分の基本設計は三二型と同一だが、翼内燃料タンク容量の増量による重量増加に対応するため、主翼を二一型と同じ翼幅に戻し、翼端折り畳み機構も復活した結果、急降下制限速度は低下している。中盤以降のソロモン諸島の戦いに投入されたが、その頃にはソロモン諸島に前進基地が設置されており、折角回復した航続距離も意義が薄れていた。武装強化型の二二甲型を含めた生産機数は560機だった。 零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は大日本帝国海軍(以下、海軍と表記する)の主力艦上戦闘機。零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)の略称で知られている(以下、零戦と表記する)。海軍の艦上戦闘機(以下、艦戦と表記する)としては実質的に最終型式で、支那事変(日中戦争の当時の呼称)の半ばから大東亜戦争の終戦まで、主力戦闘機として前線で運用された。 大戦初期、長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能により、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めたことから、当時の連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられた。しかし、大戦中期以降、連合国側新鋭機の大量投入や日本側のベテラン搭乗員の損失からその戦闘力の優位は失われ、大戦末期には多くの日本機と同様、特別攻撃機としても使用された。 開発元は三菱重工業。中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製。アメリカ陸軍のムスタングP-51、ドイツ空軍のメッサーシュミットBf109、イギリス空軍のスピットファイアなどとともに、第二次世界大戦期の代表的な戦闘機として知られている。 諸元 制式名称 零式艦上戦闘機五二型 機体略号 A6M5 正規全備重量 2,733kg 発動機 栄二一型(離昇1,130hp) 最高速度 564.9km/h(高度6,000m) 上昇力 6,000mまで7分1秒 航続距離 巡航2,222km(正規)全速30分+2,530km(増槽あり) 武装 機首7.7mm機銃2挺(携行弾数各700発) 翼内20mm機銃2挺(携行弾数各100発) 実質、終戦まで海軍の主力戦闘機として戦い、大戦全期間を通じての実績は日本陸海軍戦闘機中随一であり、最も活躍した機体であった。最終的には10,000機以上の零戦が生産された。 by Wikipedia |