2011年08月15日

湾岸戦争/砂漠の嵐作戦(Operation Desert Storm)(英語版)への反応


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湾岸戦争(わんがんせんそう 英語: Gulf War)は、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事に始まった戦争。イラクのクウェートへの侵攻を湾岸戦争の勃発と見なすこともある。


1990年8月2日、イラク軍は隣国クウェートへの侵攻を開始し、8月8日にはクウェート併合を発表した。これに対し、諸外国は第2次世界大戦後初となる、一致結束した事態解決への努力を始める。国際連合安全保障理事会はイラクへの即時撤退を求めるとともに、対イラク経済制裁措置を発表した。その6ヶ月後、ジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領はアメリカ軍部隊をサウジアラビアへ展開し、同地域への自国軍派遣を他国へも呼びかけた。諸国政府はこれに応じ、いわゆる多国籍軍が構成された。アメリカ軍が多くを占めるこの連合軍には、サウジアラビア、イギリス、エジプトが順に参加した。

国際連合により認可された、34ヵ国の諸国連合からなるアメリカ合衆国、イギリスをはじめとする多国籍軍は、バース党政権下のイラク攻撃への態勢を整えていった。イラク政府による決議履行への意思無きを確認した諸国連合は、国連憲章第42条に基づき、1991年1月17日にイラクへの攻撃を開始した。


このクウェートの占領を続けるイラク軍を対象とする戦争は、多国籍軍による空爆から始まった。これに続き、2月23日から陸上部隊による進攻が始まった。多国籍軍はこれに圧倒的勝利をおさめ、クウェートを解放した。陸上戦開始から100時間後、多国籍軍は戦闘行動を停止し、停戦を宣言した。


砂漠の嵐
1月17日に、多国籍軍はイラクへの爆撃(「砂漠の嵐」作戦 operation desert storm )を開始した。宣戦布告は行われなかった。この最初の攻撃はサウジアラビアから航空機およびミサイルによってイラク領内を直接たたくもので、クウェート側に軍を集中させていたイラクは出鼻をくじかれ、急遽イラク領内の防衛を固めることとなった。巡航ミサイルが活躍し、アメリカ海軍は288基のUGM/RGM-109「トマホーク」巡航ミサイルを使用、アメリカ空軍はB-52から35基のAGM-86C CALCMを発射した。CNNは空襲の様子を実況生中継して世界に報道した。

1月27日にアメリカ中央軍司令官であったアメリカ陸軍のノーマン・シュワルツコフ大将は「絶対航空優勢」を宣言し、戦争が多国籍軍側に有利に進んでいることを強調した。

なお多国籍軍の圧倒的に有利な状況を受けて、イラク軍は航空兵力の損失を恐れて空中戦を積極的に行わないばかりか、自国軍機をイランなどの周辺国に強制的に退避させた他、イラク航空の旅客機についても同じように周辺国に退避させた。


正確なイラク戦闘犠牲者数は不明だが、調査によると20,000人から35,000人であると見積もられている。アメリカ空軍の報道によると、空爆による戦闘死者数は約10,000から12,000人、地上戦による犠牲者数は10,000人であった。この分析は、戦争報道によるイラク人捕虜に基づいている。


国防総省は、MIA(戦闘中行方不明)と呼ばれるリストを作成し、友軍の砲火による35名の戦死者を含む148名のアメリカ軍人が戦死したと発表した。なお、このリストには2009年8月に1名のあるパイロット(英語)が追加された。更に145名のアメリカ兵は、戦闘外事故で死亡した。イギリスは47名(友軍砲火により9名)、フランスは2名が死亡した。クウェートを含まないアラブ諸国は37名(サウジ18名、エジプト10名、アラブ首長国連邦6名、シリア3名)が死亡した。最低でも605人のクウェート兵は未だに行方不明である。


投入兵器
トマホーク巡航ミサイル、劣化ウラン弾、F-117ステルス攻撃機、パトリオットミサイル、バンカーバスター地中貫通爆弾、全地球測位システム (GPS)、F-15E戦闘爆撃機など、この戦争において特にアメリカは数々の新兵器を投入した。

中にはA-10攻撃機の様に、冷戦終結により一度は存在価値を失ったものの、湾岸戦争での活躍により再評価された物も存在する。

アメリカ空軍のAGM-130誘導ミサイルといった誘導爆弾は、他の無誘導爆弾に比べ、実戦経験は少なかったにもかかわらず、過去の戦争と比べ軍事攻撃における市民への被害を最小限にできると評価された。ジャーナリストたちが、巡航ミサイルが飛び交うのをホテルから眺める中、バグダッド中心部の特定の建造物への爆撃は行われた。

多国籍軍が投下した爆弾うち、7.4%は精密誘導によるものであった。クラスター爆弾を含む複数の子弾を四散させる爆弾[41]及び15,000ポンド爆弾デイジーカッターは、数百ヤードにわたる範囲内の建造物を破壊可能である。

全地球測位システムは、砂漠全域における円滑な部隊運用を可能にした。

早期警戒管制機 (AWACS)及び衛星通信システムもまた重要な役割を果たした。アメリカ海軍E-2ホークアイ及びアメリカ空軍E-3セントリーがその一例である。これらの航空機は作戦範囲における司令及び管制に使われた。これらのシステムは、陸軍、空軍、そして海軍間の必要不可欠な通信リンクを提供した。そして、これは多国籍軍が空戦において圧倒的優位に立った多くの理由の内の一つである。



by Wikipedia

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アメリカ合衆国
私の父がこの戦争に参加しました。でも彼はトルコに配置されたということです。
 
アメリカ合衆国
私の叔父がデザートストーム作戦で空軍にいました。私は今でも彼の部隊のキャップを持っています。彼は凄いです。
 
アメリカ合衆国
私の父もこの作戦に参加しました。でも彼はこの戦いについてあまり語らない。
 
アメリカ合衆国
アメリカはこの戦いで久々に勝利を味わった。
でも、この戦いはいったい何だったのだろう。
 
アメリカ合衆国
少なくともクウェートは解放した。しかし、この戦いがこれから続く、長い無意味な戦いの始まりのような気がします。
 
アメリカ合衆国
アメリカは新兵器を大量に投入した。軍需産業の陰謀でもある。
 
アメリカ合衆国
アメリカはまだ戦っている。いつ終わるのだろうか。
 
アメリカ合衆国
我々は勝利した。それ以外のことは政府が決めることだ。
 
アメリカ合衆国
アメリカは現在も戦いを続けている。
しかし、ベトナム戦争の時のような戦争反対の世論は盛り上がりを見せていない。
アメリカ国民も迷っているのだ。

posted by 虚空に踊らん at 10:58| 現代の戦い