加藤隼戦闘隊 -Kato Hayabusa Fighter Wing- (作成 日本) http://www.youtube.com/watch?v=MS12isLjS5w |
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作者のページ ShVAK20 - YouTube |
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加藤隼戦闘隊とは、太平洋戦争(大東亜戦争)初期に活躍した加藤建夫陸軍中佐(死後、陸軍少将)率いる大日本帝国陸軍の飛行戦隊、飛行第64戦隊(飛行第六十四戦隊、飛行第六四戦隊。秘匿名高二一九四部隊。軍隊符号64FRないし64F)の通称・愛称。 飛行64戦隊の部隊マークは垂直尾翼に描かれた「斜矢印」で、隊ごとに戦隊本部は「コバルトブルー」、第1中隊は「白」、第2中隊は「赤」、第3中隊は「黄」で塗り分けていた。また、九七戦時代の途中まで描かれていた部隊マークには鷲を意匠化した「赤鷲」があり、操縦席側面の胴体に文字通り赤色で描かれていた。なお同時期の撃墜マークは「赤鷲の片翼」。 この「(胸に描きし)赤鷲」は後述の戦隊歌の歌詞として歌われており、映画でもオープニングタイトル画に採用された。 一式戦闘機は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ43。愛称は隼(はやぶさ)。呼称・略称は一式戦、一戦、ヨンサンなど。連合軍のコードネームはOscar(オスカー)。 開発・製造は中島飛行機。生産数5751機。 四式戦闘機「疾風」(キ84)とともに帝国陸軍を代表する戦闘機として、太平洋戦争(大東亜戦争)における主力機として使用された。旧日本軍の戦闘機としては大日本帝国海軍の零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位。 映画は1944年、東宝映画「加藤隼戦闘隊」として、公開された。 by Wikipedia |
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アメリカ合衆国(31歳/中国系) 素晴らしい映画であり、かつ素晴らしい戦闘機だ! 訳者注 この人のページを見る限り、反体制派ではなく、普通に軍事マニアのようです。 |
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アメリカ合衆国(44歳) 誰か、この映画の詳細を知っている人はいますか? ちょっと、いまいましいが、とても面白そうだ・・・。 |
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チェコ(29歳) 全ての日本のパイロットに敬意を表します。 彼らは栄光に値する偉大な英雄です。 |
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イギリス(41歳) 隼は第2次大戦で、最も美しい戦闘機のひとつだ。 最強の戦闘機ではなかったが、美しい戦闘機のひとつには変わりない。その飛行性能はスピットファイヤよりも優れている。 日本にとっては残念なことではあるが、隼はP−38、P−47に比べると速度、武装の点で劣っていた。 |
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アメリカ合衆国 1941年初期から1942年のアメリカの国籍マークのある戦闘機がハリケーンのように見えるのだが、ちょっと変じゃないか? この動画で熱くなるところだが、何でこんな奇妙な取り合わせになっているのか、ハリケーンが使われていることに何か意味があるのだろうか? |
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イギリス(41歳) (上記のコメントに対して) それは違うだろう。一瞬しか見えないが、これは1942年初期までのアメリカの国籍マークのあるP−40だ。しかし、撃墜された戦闘機は違っている。これは間違ったイギリスのマーキングをされたハリケーンだ。翼に黄色のアウトラインがある。 |
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アメリカ合衆国 (上記のコメントに対して) 了解した。ストップモーションでもう一度見てみたが、破壊されたハリケーンは模型だな。P−40の他のシーンはあるのだろうか? しかし、この映画は本当に素晴らしい。オスカー(隼)がいかに優れた機動性を持っていたかが良くわかる。こんなのが見ることが出来るなんて最高だ! |
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インドネシア(18歳) 第2次大戦における日本の航空隊、及びに戦闘機「隼」に感謝します。インドネシア独立戦争において、我々インドネシア・ゲリラはあなた方がインドネシアを去ろうとした時、インドネシアにあった多くの航空機を盗み出しました。だから、我々はインドネシアの独立を認めようとしないオランダを撃退することが出来たのです。(我々は第2次大戦終結時、在インドネシア日本軍が降伏する2日前に独立宣言を行いました。) 多くの航空機が破壊されてしまいましたが、幸いにも数機はまだ保存されています。 これがインドネシア空軍の始まりの歴史です。 訳者注 この日本軍降伏時のインドネシアへの武器供与は日本軍の黙認の上で行われています。不幸にも連絡ミスで犠牲者も出ていますが、当時の状況では、ゲリラに盗まれてしまったという方法が最善の策であったようです。また、多くの日本軍の兵士が脱走し、このインドネシア独立戦争に参加しています。この脱走も軍は黙認しています。 インドネシア独立の簡単な経緯 1945年3月、独立準備調査会を発足(日本軍政当局指導) 1945年8月7日、独立準備委員会設立(日本軍政当局指導) 1945年8月14日、スカルノに対して、日本の降伏を予告。 1945年8月17日、スカルノ、インドネシア独立を宣言。 1945年9月2日、在インドネシア日本軍降伏。 1945年9月4日、インドネシア共和国成立。 1945年10月28日、上陸してきたイギリス軍と交戦を開始。 1946年11月12日、イギリスとの停戦協定成立。 1947年1月24日、オランダとの交戦を開始。 1949年12月27日、オランダは自国の影響力のあるインドネシア連邦共和国に主権を移譲。 1950年8月15日、インドネシア連邦共和国を排除し、インドネシア共和国の樹立を宣言。 日本敗戦後、一連の武器強奪、及び連合国要請による、治安維持のための戦闘での日本側の戦死者は約1000名超。 インドネシア独立戦争に参加した日本兵は約3000名。内、3分の1が戦死、3分の1がそのまま、インドネシアに帰化。3分の1が帰国。 |
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アメリカ合衆国(56歳) この映画を手に入れたいです。英語字幕付きの物です。誰かこれを売っているサイトのリンクを教えてくれませんか? 自分でも探してみましたが、見つかりませんでした。よろしくね。 |
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日本(34歳) (上記のコメントに対して) この映画の英語字幕付きがあるとは思えません。日本語バージョンだけだと思います。 |
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プエルトリコ(64歳) 日本はこのような戦闘機をもう一度作るべきだと思います。 素晴らしいビデオです・・・。 |
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中国(23歳) 「Kato」は素晴らしいパイロットであり、同時に、本当のサムライだ。日本の軍事政権は、彼を日本の「リヒトホーフェン」に神格化してしまったが、それは彼の本意ではなかったと思う。 |
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オマーン 「Ki43」は本当に素晴らしい戦闘機であった。数え切れないほどのアメリカ、フランス、イギリス、オーストラリアのパイロットがこの戦闘機によって命を落とした。連合国は役に立たない戦闘機と、未熟なパイロットで用を成さなかった。熟練したパイロットがいないという事は致命的であったのだ。戦闘機はパイロットの腕が全てなのだ。 |
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タイ(23歳) 第2次大戦における最高の戦闘機のひとつだ。我々タイ王国空軍もこの隼を使用した。 訳者注 隼を使用した国の一覧。 タイ王国 満州国 フランス軍(終戦後) インドネシア軍(終戦後) 中華民国軍(終戦後) 中国人民解放軍(終戦後) 朝鮮人民軍(終戦後) 全て、操縦の指導は日本軍。タイ王国はバンコク空襲の迎撃にも参加。 |
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アメリカ合衆国(35歳/フィリピン系) 彼らの目的のひとつであった、アジアの開放は結果的には実現しました。偉大な日本の隼に敬意を表します。 |
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ドイツ(34歳) 素晴らしい軍歌です。日本が永遠であることを! 我々ドイツは、共に戦ったことを決して忘れません。 ドイツから親愛をこめて。 |
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マレーシア(37歳) MADE IN JAPAN |
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セルビア(25歳) ハンガリーから同盟国日本に尊敬をこめて! 訳者注 セルビア在住という事でしょうか。セルビアはハンガリーの南隣りの国。 ハンガリーは枢軸国の一国、ドイツ敗戦まで戦争を継続。 |
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ドイツ(45歳) 加藤少佐は永遠だ・・・。 Ki43/隼・・・ 私の大好きな戦闘機だ! |
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バングラディッシュ(22歳) 私はセルビア出身ですが、あなた方は世界で最も偉大な国家です。そして、私の国よりもはるかに、あなた方の文化と国家を愛しています。第2次大戦によって、彼らのように誠実に自分の国を愛し、勇敢に戦った戦士たちが失われてしまった事は、非常に残念に私は思います。 |
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オーストリア(23歳) (上記のコメントに対して) 私はオーストリア出身ですが、私も自分の国よりはるかに日本を愛しています。出来ることなら、外国人としてでもいいから日本で死にたい。日本に来ると全く魅了されてしまいます。外国人が日本の愛国者になってしまいました。(笑) |
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日本 (上記のコメントに対して) まず最初に、他の国よりも自分の国を愛すべきではありませんか? そして、2番目に日本を愛してください。それが普通です。 |
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フランス(26歳) 素晴らしい曲です。 あなた方はこれらの尊い英雄たちを誇りに思わなければいけない。 パリから尊敬をこめて。 |
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東宝映画 「加藤隼戦闘隊」 1944年 完全版 (Kato hayabusa sento-tai - Colonel Kato's Falcon Squadron) (作成 チェコ) http://www.youtube.com/watch?v=YcuGt2ZVZrE |
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作者のページ Cracken1979 - YouTube |
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2010年08月06日
加藤隼戦闘隊
posted by 虚空に踊らん at 23:11| Comment(23)
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敵国であった人々(の子孫ですが)が認めてくれているのは素直に嬉しいですね
「はやぶさ」は戦闘機でも新幹線でも衛星でもいい仕事するなぁ
ひたすら一撃離脱だからだろうなあ。
隼が善戦できたのは、低空域だと一撃離脱戦法が使えなかったから。
それからジャングルの上だと非常に見つけみくかったらしい。
第二次大戦から何十年も経った今も、枢軸の人達がこうやって同盟国だった日本に想いを届けてくれる姿は美しいよ。靖国神社に参拝しに来てくれた外国の軍人は何人も居るけど、一番沢山来てくれてるのは敵国だったアメリカ人と同盟国だったドイツ人らしいね。
彼らの目の前で、黄色人種の日本人が、白人達を叩きのめしたことに、さぞ驚いたことであろう。
大抵の場合空戦の高度は3000m以下でしかも戦闘中ドンドン高度は下がっていく。一撃離脱戦法は相手の上を取らなきゃいけないが低空域の上昇力は零戦の方が高い。
戦爆連合を組めば攻撃機や爆撃機とスピードを合わせなきゃいけないから結構スピードも遅い。
高高度用の過吸気とかは低空だとデッドウェイトにすらなりかねない。
防弾装備が弱いと言ったって初期のキルレシオは一方的だったし。
戦後、横山隆一が円谷監督との対談で
「処刑する予定だった捕虜を使ったんですか」と
訊いていたのを読んで笑ったな。
円谷監督は「あれは移動マスクを使った特撮です」って答えてた。
同時期の映画「ハワイ・マレー沖海戦」だったかの特撮戦闘シーンを戦後に見たアメリカ軍が、
実際の空撮だと勘違いした話を聞いたことがある
零が有名なのは、先進性と、当時世界に与えたインパクトでしょうね。
文字通り無敵の強さを発揮して、零を見かけた場合逃げろなんて戦法が取られたのは、後にも先にも零戦くらいだし。
鹵獲機により、編み出されたスピードを利用しての一撃離脱戦法が確立するまではf6fやスピリットファイアーなんて良いお客様だった事は、酒井三郎氏の大空の侍に記されている。(f6f>スピだった模様)
まぁ日本機が大戦末期、軒並み駄目に成ったのは石油の枯渇(松ヤニから燃料作ったりしていたらしい)による、燃料やオイルといった整備面と、ターボ過給器を素材研究の遅れから、一度使用で交換しなきゃならない様な、補器類に起因する高空性能の維持が出来なかったなどが挙げられる。最も肝心のエンジンも精密整備を必要とされる誉の使用で稼働率低下を招いた点も無視できない。
というか、単に強さと言うなら日本側機体で疾風が出ていないのはおかしい(P-51を最も多く食った機体)よね。
まぁ格闘戦だけに限れば紫電改が恐らく一番先進的機体だっただろうけど・・・。
ついでにカキコ
日本機の急降下能力が低かったは、軽量化、要するに格闘戦特化のだめでしょう
そして高空能力が低かったのは過給器(ターボやスーパーチャージャー)の補器類の研究が遅れていたから・・・これは単純に馬力面でも影響し、機体の重装備化に二の足を踏ませた元凶にも成っていきました。
日本機はそうした事からダイブでエンジン全開での急降下できなかったらしく、(それをやると翼に撓みが出来たそうです)一撃離脱の戦法下では、低高度でも攻撃側は、斜め上からの攻撃になり、水平飛行に移ってからは、初期の戦闘以外は相手の方が単純にスピードに勝っていた為に楽々逃げられたそうで、これはベテランパイロットの温存が出来た米国と次第にベテランの消耗を余儀なくされた日本側という、もうひとつの明暗も示しています※零と隼という高性能機が与えられ、戦術研究が疎かに成っていた点と、補器(エンジン・機体研究は負けていなかった)の技術力の差により、決定的なアドバンテージを持つ米国にこれと言った対抗手段を打ち出せなかったと言えます※防御や火力を上げれば重量増加→補記が劣る為に米より高性能エンジンでも、パワーや高空性能で劣り(それ故進まなかった)、石油の枯渇と上記理由から精密整備を要する精緻な高性能エンジンに頼らざる負えず稼働率も低下と、負のスパイラルに陥っていった・・・最初から高性能も考え物なのかも知れませんね。
そういえば自衛隊と米軍の模擬空中戦では、何故か自衛隊の方が、成績が優秀で、劣るとされた機体で米国の最新の戦闘機を葬りまくる事から、米エース達は皆一様に首を傾げるそうです。※これも実は彼我の機体性能を分析し、相手の有利と此方の有利を考えた戦術による所が大きいそうですよ。・・・・「日本のパイロットだけとは戦いたく無い」との事でした。
でもお気持ちは嬉しく思いますとか光栄ですとか有難うとか緩衝の言葉付け加えるだけでも違うだろうに。
確かにね。ちょっと言葉が足らなかったと思うよ。国を一番に考えなさいって言葉だったんだろうけど、それでも遠く離れた日本を好きだと言ってくれて有難うくらいは言うべきだったよね。ちょっとこの言葉だけじゃ冷たく感じてしまう。悪気はないんだろうけどね。
ははは〜。
自分も全く同じことを思ったよ。
あそこまで言ってもらえるのはとても光栄なことだしね。せめて有難うくらい言っても良かったのにね。
大馬力、重武装、重防御の米戦闘機には、低空での格闘戦以外では、勝ち目はなかった。
疾風や5式戦の方が、評価されるべき。
日本=軽戦で貧弱な戦闘機ばかりという考えは間違っていると思う。
それに隼も二型なると無茶の出来る戦闘機になった訳だし、零戦よりも知名度高かったわけだし、もっと評価してほしい。
あと、二式単座戦闘機「ショウキ」も。
ありがとう、の一言でいいのにね。
連合国側は日本ドイツを過剰に敵視して孤立させたことが戦争の原因では無いだろうか。