明治37-38年(1904-05)
日露戦争 陸戦編 |
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明治37-38年(1904-05)
日露戦争 海戦編 |
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Russo-Japanese
War 1905 film |
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日露戦争(Russo-Japanese
War 1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島と満洲南部を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。 ロシアと日本の対立の場となった朝鮮半島 大韓帝国は冊封体制から離脱したものの、満洲を勢力下においたロシアが朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取りつつあった。ロシアは高宗を通じ売り払われた鍾城・鏡源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの国家基盤を取得し朝鮮半島での影響力を増したが、ロシアの進める南下政策に危機感(1861年にロシア軍艦対馬占領事件があった為)を持っていた日本がこれらを買い戻し回復させた。 当初、日本は外交努力で衝突を避けようとしたが、ロシアは強大な軍事力を背景に日本への圧力を増していった。1904年2月23日、開戦前に「局外中立宣言」をした大韓帝国における軍事行動を可能にするために日韓議定書を締結し、開戦後8月には第一次日韓協約を締結、大韓帝国の財政、外交に顧問を置き条約締結に日本政府との協議をすることとした。大韓帝国内でも李氏朝鮮による旧体制が維持されている状況では独自改革が難しいと判断した進歩会は日韓合邦を目指そうと鉄道敷設工事などに5万人ともいわれる大量の人員を派遣するなど、日露戦争において日本への協力を惜しまなかった。一方、高宗や両班などの旧李朝支配者層は日本の影響力をあくまでも排除しようと試み、日露戦争中においてもロシアに密書を送るなどの外交を展開していった。戦争中に密使が日本軍艦により海上にて発見され、大韓帝国は条約違反を犯すという失敗に終わる。 by Wikipedia |
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中国 日本万歳! 日中の友好は永遠だ。 現在、多くの中国人が日本を憎んでいるが、それはロシアと中国共産党のプロパガンダだ。 日本はロシアの侵攻から中国を救った。それが真実の歴史だ。 日本は我々黄色人種にとって、唯一、希望の国家だ。 訳者注 中国にはこういう考えの人たちも少なからずいます。私自身は段々と増えてきているように思っています。 |
アメリカ合衆国 ワオ!100年以上も前のフィルムを見ることが出来るとは、素晴らしいです。 |
アメリカ合衆国 私の祖々父が帝国陸軍兵士として、この戦争で戦いました。 訳者注 国籍はアメリカ合衆国となっています。ただ、祖々父でも計算が合わないような気もします。 |
アメリカ合衆国 彼らは真剣で戦っているのですか、それとも木刀なのですか? 私にはわかりません。 訳者注 そんなシーンあったのか・・・。 |
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2011年09月12日
海外の反応 貴重フィルム 映像で見る「日露戦争」 映像/動画
posted by 虚空に踊らん at 11:32| 世界から見た日本の歴史