2011年08月17日

海外の反応 シンガポールへの道(The Battle For Singapore)(英語版)


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「1〜2」と「3〜5」は基本的には同じ物です。

シンガポールの戦い(シンガポールのたたかい、英: Battle of Singapore)とは、第二次世界大戦の東南アジア戦域で、1942年2月7日から2月15日にかけて行われた戦闘である。


イギリス陸軍は敗北を喫し、シンガポールは陥落した。この戦いで、約8万人の英本国兵や英領インド兵や英領オーストラリア兵が捕虜となり、マレー半島の戦争で投降した5万人に加わった。

印度洋と太平洋を結ぶこの地がチョークポイントであることで十分であろうしイギリスが東洋艦隊に最新鋭の戦艦を派遣したことからこの地の重要性は理解でき、その陥落は欧州の東アジア支配の終焉を意味していたともいえるほどの重大な影響を与えた。

このイギリス軍の敗北は、当時イギリスの植民地であった東南アジアの民衆を鼓舞したという説がある。当時のイギリスは世界最大の植民地帝国であり、中でもシンガポールはアジアにおけるイギリス海軍の最大規模の拠点であり、「東洋のジブラルタル」と呼ばれていた。そして、1945年に日本軍が連合国軍に敗北した後に、勝戦国であるヨーロッパの植民地宗主国軍(英・仏・蘭)は再び侵攻したが、東南アジアの民衆は宗主国軍に勝利し、植民地からの解放を勝ち取った。

このシンガポール陥落また大英帝国戦艦のプリンス・オブ・ウェールズやレパルスが日本軍に撃沈された事はイギリスにとっては不幸であるが、これを大喜びし、記念として扱っている国がある。その国はイギリスに長年植民地とされ過酷な搾取を受けたアイルランドであり、一部のアイルランド人がいかに坊主憎けりゃ袈裟まで憎いほどイギリスに対する憎しみを持っていた事が捉えられる。

当時、自由フランス軍の指導者であったシャルル・ド・ゴールは、「シンガポールの陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終わりを意味する」と述べた。



by Wikipedia

インドネシア
我々のアジアはヨーロッパの植民地でした。
日本はヨーロッパ人をアジアから追い出しました。
我々インドネシア人は日本軍によって軍事訓練を受けました。
それは第2次大戦後のインドネシア独立戦争に非常に役に立つことになりました。
以下原文。
Thank you for Japan. Japan is an Asian hero.
I love Japan and a Japanese.

 
シンガポール
日本軍は中国人に対しては非常に残酷でした。一部には親切な人もいたのですが。
 
シンガポール
中国系シンガポール人だけの意見が(シンガポールの)全てではない。日本を批難しているのは中国系だけである。我々シンガポール人の意見ではない。
 
マレーシア
日本は我々アジアにとって希望の光であった。中国は西洋と手を組んで日本と戦った。
どちらが敵なのかは明らかである。
 
ベトナム
もともと中国人にはアジアの解放などという考えはなかった。また、その力もなかった。
現在を見れば、中国人の考えはアジアの支配だけである。


posted by 虚空に踊らん at 12:55| 太平洋の戦い