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レイテ沖海戦 謎の反転の真実 やっぱり栗田は逃げたのだ! 元海軍少佐 戦艦大和副砲長 深井俊之助氏の証言 謎の怪電報は栗田司令部の作文! 大和の電信室はこの電報を受信していない! 必見!ガダルカナル戦 敵の上陸前に実は帝国海軍戦闘機隊は進出していた! 桜H 証言シリーズ http://www.youtube.com/watch?v=anDKD9uuj3k |
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レイテ沖海戦/Battle of Leyte
Gulf レイテ沖海戦(Battle of Leyte Gulf)とは、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピン及びフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍との間で交わされた一連の海戦の総称。日本側とアメリカ側の主攻目標が共にレイテ島(レイテ湾)であったことから、この名が付けられた。比島沖海戦もしくはフィリピン沖海戦 (2nd battle of the Philippine Sea) ともいう。直接的にはシブヤン海海戦 (Battle of the Sibuyan Sea)、スリガオ海峡海戦 (Battle of Surigao Strait)、エンガノ岬沖海戦 (Battle of Cape Engano)、サマール沖海戦 (Battle off Samar) の4つの海戦からなるが、戦局に与えた影響や評者による議論の仕方によっては事前の様々な背景が採り上げられる事もある。 連合軍の作戦名はキングII作戦(Operation KING II)でレイテ島奪還が目的、日本側の作戦名は捷一号作戦でアメリカ軍の進攻阻止が目的である。日本海軍の艦隊戦力はこの海戦での敗北を最後に事実上壊滅し、以後大規模かつ組織的活動が不可能となった。また、この海戦で日本側は神風特別攻撃隊による攻撃をはじめて行った。 日本(特に海軍)は残された軍艦ほぼすべての投入を企図するなど総力を挙げ、後の戦闘を見越し陸軍も多数の部隊を配置し、アメリカも太平洋に展開する大半の軍事力(特に海軍)を投じて戦ったため、その規模の大きさ、戦域の広大なことでも有名である。 連合艦隊参加艦艇及び航空兵力 (艦艇は残存している艦艇のほぼ全てを投入、事実上これが連合艦隊最後の艦隊決戦となる。) 第二艦隊 司令長官:栗田健男中将 参謀長:小柳富次少将 先任参謀:山本祐二大佐 航空参謀:添田啓次郎中佐 作戦参謀:大谷藤之助少佐 砲術参謀:宮本鷹雄少佐 水雷参謀:森卓二少佐 機関参謀:大迫隼夫中佐 航海参謀兼副官:八塚清少佐 旗艦:愛宕→大和 第一遊撃部隊第一部隊(第二部隊と合せて通称は栗田艦隊)(主力打撃艦隊) 第一戦隊:司令官:宇垣纏中将、戦艦 大和 武蔵 長門 第四戦隊:司令長官直率、重巡洋艦 愛宕 高雄 摩耶 鳥海 第五戦隊:司令官:橋本信太郎少将、重巡洋艦 妙高 羽黒 第二水雷戦隊:司令官:早川幹夫少将 軽巡洋艦 能代 第二駆逐隊:司令:白石長義大佐、駆逐艦 早霜 秋霜 第三十一駆逐隊:司令:福岡徳治郎大佐、駆逐艦 岸波 沖波 朝霜 長波 第三十二駆逐隊:司令:大島一太郎大佐、駆逐艦 浜波 藤波 島風 第一遊撃部隊第二部隊 第三戦隊:司令官:鈴木義尾中将、戦艦 金剛 榛名 第七戦隊:司令官:白石萬隆少将、重巡洋艦 鈴谷 熊野 利根 筑摩 第十戦隊:司令官:木村進少将、軽巡洋艦 矢矧 第十七駆逐隊:司令:谷井保大佐、駆逐艦 浦風 磯風 雪風 浜風 清霜 野分 随行油槽船 八紘丸 萬栄丸 御室山丸 日栄丸 雄鳳丸 厳島丸 日邦丸 良栄丸 第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊) 速力の関係で栗田艦隊とは別行動 第二戦隊:司令官:西村祥治中将、戦艦 山城 扶桑 重巡洋艦 最上 第四駆逐隊:司令:高橋亀四郎大佐、駆逐艦 山雲 満潮 朝雲 第二十七駆逐隊:艦長:西野繁少佐、駆逐艦 時雨 第二遊撃部隊(志摩艦隊、10月18日より南西方面艦隊指揮下) 司令長官:志摩清英中将 参謀長:松本毅少将 第二十一戦隊:司令長官直率 重巡洋艦 那智 足柄 第一水雷戦隊:司令官:木村昌福少将 軽巡洋艦 阿武隈 第七駆逐隊、駆逐艦 曙 潮 霞 第十八駆逐隊、駆逐艦 不知火 第二十一駆逐隊、駆逐艦 若葉 初春 初霜 (第二十一駆逐隊はセブ島への航空機材等の輸送の為21日朝馬公から高雄へ出港し突入には参加せず) 第十六戦隊:重巡洋艦 青葉 軽巡洋艦 鬼怒 駆逐艦 浦波 (元々第一遊撃部隊と行動を共にしていたが、編成替えにより第二遊撃部隊の指揮下となる。陸兵輸送のためマニラに回航され突入には参加せず) 第三艦隊(空母動部隊) 空母機116機 司令長官:小沢治三郎中将 参謀長:大林末雄少将 先任参謀:不明 参謀:青木武中佐 有馬高泰中佐 辻本毅少佐 旗艦:瑞鶴→大淀 機動部隊本隊(小沢機動部隊) 第三航空戦隊:司令長官直率、正規空母 瑞鶴 軽空母 千代田 千歳 瑞鳳 第四航空戦隊:司令官:松田千秋少将、航空戦艦 伊勢 日向 巡洋艦戦隊:司令官:多摩艦長山本岩多大佐指揮、軽巡洋艦 多摩 五十鈴 第一駆逐連隊(第三十一戦隊のみ):司令官:江戸兵太郎少将 第三十一戦隊:軽巡洋艦 大淀 駆逐艦 槇 杉 桐 桑 第二駆逐連隊:(第六十一駆逐隊司令兼務) 第六十一駆逐隊:司令:天野重隆大佐、初月 若月 秋月 第四十一駆逐隊:司令:脇田喜一郎大佐、霜月 第二補給部隊 司令:山崎 仁太郎少佐(秋風艦長と兼務) 駆逐艦 秋風 油槽船 仁栄丸 たかね丸 海防艦 22号 29号 31号 33号 43号 132号 潜水艦部隊 先遣部隊 司令長官:三輪茂義中将 参謀長:仁科宏造少将 レイテ方面:大型潜水艦8隻 マニラ方面:中小型潜水艦7隻 第五基地航空部隊(在フィリピン航空隊) 第一航空艦隊 司令長官:大西瀧治郎中将 大西瀧治郎中将は終戦時に責任をとって割腹自決。 (大西瀧治郎中将は、フィリピン戦特攻の海軍最高司令官) 直率 実働機約40機 第一五三航空隊 第二〇一航空隊 第七六一航空隊 第一〇二一航空隊 第六基地航空部隊(在台湾航空隊) 第二航空艦隊 司令長官:福留繁中将 参謀長:杉本丑衛大佐 実働機223機 補足 フィリピン戦における特攻 1944年10月25日、特攻作戦開始。 1945年1月25日、航空機絶無。各基地の占領を受け、この日、残存数機をもって最後の特攻を敢行。この日をもって、在フィリピン航空隊は、海軍、陸軍ともに全滅。 特攻機数 海軍機 333機、陸軍機 202機、計535機 戦果(米軍側発表) 空母 撃沈 2 損傷 18 戦艦 撃沈 0 損傷 5 巡洋艦 撃沈 0 損傷 8 駆逐艦 撃沈 3 損傷 22 揚陸艦 撃沈 14 損傷 不明 突入に成功した機数は、535機中、75機以上。「以上」としているのは同じ艦艇に2機突入した場合と揚陸艦の損傷数が不明なためです。 沖縄戦における特攻機数(海軍機 1026機、陸軍機 886機、計1912機) by Wikipedia(一部、補足修正加筆) |
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アメリカ合衆国 日本海軍はすでに戦力を使い果たしていた。しかも、艦隊を4つに分けてさらに戦力を分散させるのは根本的に無理がある。 |
アメリカ合衆国 問題は4つの艦隊がお互いに連絡を取ることができず、それぞれに独自の行動をとった事にある。 |
ドイツ ほとんどのカミカゼは撃墜されてしまいました。 |
グアム 栗田はアメリカ空母部隊が北上したという事を知らなかった。 護送空母群を正規空母と誤認したため、作戦は失敗したと考えていた。そのため、レイテから反転した。そのままレイテに突入していたら容易に輸送船団を撃沈できただろう。 |
イギリス レイテ沖海戦は、海戦史上、最も複雑な海戦です。 |
フィリピン この海戦はフィリピンの島から見えたと、当時の記録に残っています。 |
フィリピン レイテ沖海戦はカミカゼによる最初の戦いです。 |
アメリカ合衆国 栗田の反転は謎のまま。栗田は事実を記録として残して置くべきだった。 |
アメリカ合衆国 あまりにも入り組んだ作戦は、それ自体すでに成功する可能性を少なくしている。 |
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2014年05月25日
海外の反応 レイテ沖海戦(Battle of Leyte Gulf)
posted by 虚空に踊らん at 23:11| Comment(10)
| 太平洋の戦い
色々謎が多いんですよね…戦後海軍が解体されてしまって、十分な研究がされなかったのも痛い。
また翻訳を楽しみにしています
こちらのサイトが海外反応ブログで一番好きだったのでうれしいです。
お休みだったので心配していました。
良かったです。次回記事も楽しみにしています。