2020年11月06日

海外の反応 長篠の戦い 1575年6月29日(新暦) Battle of Nagashino 1575


長篠の戦い 1575年6月29日(新暦)
Battle of Nagashino 1575

http://www.youtube.com/watch?v=bIs3ibPgosE

 
下記のページからもコメントを抜粋しています。
Battle of Nagashino 1575 Takeda clashes with the Oda-Tokugawa alliance
https://www.youtube.com/watch?v=ZXpCHNYoseA
Battle of Nagashino 1575 (長篠の戦い)
https://www.youtube.com/watch?v=N77sd_WEIug
THE BATTLE OF NAGASHINO 1575 - RISING SUN SERIES - THE BATTLE THAT CHANGED JAPANESE WARFARE!
https://www.youtube.com/watch?v=Y4MUZ7yK4UE
 
長篠の戦い 1575年
織田信長・徳川家康連合軍
約3万8千人
武田勝頼軍
約1万5千人
 

もともと、この1575年の戦いは、
どう頑張っても武田軍に勝ち目はなかった。
勝頼は何故、兵力が半分以下なのに、正面攻撃を仕掛けたのか。
戦術の常識を知らないほど、バカであったのか。
 

(上記のコメントに対して)
バカでは無い筈だ。
父親の信玄の死後、武田の領地を広げているし、
それなりの知力もあった筈だ。
ただ、ひとつ言える事は、信長の戦術、戦略が、
勝頼を遥かに上回っていたという事だ。
 

日本の戦国時代では、武田が一番好きなんだ。
勝頼はその武田を滅ぼしてしまった。
信玄は許してくれないだろう。
 

この時代、多くの名家と呼ばれる家が滅亡してしまった。
鎌倉以来ずっと続いている家って、
薩摩がそうだというのは、知っているが、
あとはどこが有るんだろう。
 

この戦いは、避けるべきだったのだ。
戦うべきでなかった。
完全に陣地を構築している敵に、
半分以下の兵力で、正面攻撃をかける。
しかも、前面には鉄砲が数千丁並んでいる。
これでは、只の虐殺で、勝てる見込みは全くない。
事実、多くの武田の有力武将が戦死している。
 

 

信玄なら、絶対にやっていない戦いだ。
 

信長と勝頼の力量の差を、
見事に表現している戦いであったと言える。
 

オーバーキルであった鉄砲3000丁。
 

このあと、信長は武田に攻め入らずに、放置している。
武田の内部崩壊を待ったのだ。
何という巧緻な策略だろう。
勝頼では到底及ばない。
 

1582年、武田が滅亡した年に、
明智光秀の謀反によって、信長はこの世から消えてしまう。
勝頼と信長は同じ年に死んだのだ。
その差は2ヶ月程だ。
歴史の皮肉というものは、面白いがかなり残酷だ。
 

武田軍はこの日、
1万5千人の軍の内、1万2千人を失っている。
これはもう、戦いではなくて、只の虐殺だ。
 

 

この戦いで、有名な真田昌幸の兄が二人とも戦死している。
兄が戦死したため、昌幸が真田家を相続したのだ。
この戦いが無ければ、
昌幸は世に出ることが無かったかも知れない。
真田幸村も無名に終わったかも知れない。
 

最近では、
武田騎馬軍団は本当に強かったのか?
もうひとつは、
武田騎馬軍団は本当に存在したのか?
という、疑問説まで出てきている。
 

せっかく、鉄砲の存在が歴史を変えたと言われる戦いなのに、
最近では、色々な疑問が出てきている。
本当に三段撃ちはあったのか、というのが最大のものだ。
 

三段撃ちがあったかどうかは分からないが、
必要であったかどうかを考えれば、
そう必要でもなかったという事になる。
そもそも、兵力差が倍以上あるのだ。
普通に戦えば、それだけで勝利できる。
 

信玄好きの私にとっては、何とかして、
武田が勝利する方法は無かったのかと考えてしまう。
 

(上記のコメントに対して)
無い。 撤退あるのみだ。
 

 

武田が勝利する方法を考えてみた。
まず、ここは撤退。これは絶対条件だ。
領地に帰って、最大兵力を動員する。
こんな少ない兵力で、信長と戦う事自体が、大変な間違いなのだ。
信玄でさえ、最大兵力を動員している。
最低でも4万の兵力を動員する。武田なら可能な筈だ。
これでもう一度、徳川領に侵攻する。
信長が来る前に、徳川を叩くのが最善だが、
それが出来なくても、今度は違った結果が出るだろう。
 

武田が好きだ。
信長も嫌いじゃないが、やっぱり武田の方がロマンがある。
 

この戦いのあと、多くの武田の武将が離反して行くんだよね。
ほとんどが徳川に寝返ってしまった。
徳川は嫌いだ。
 

真田家も二つに分かれてしまうんだよね。
でも、生き残ったのは、徳川についた真田信之だ。
好き嫌いで、戦国時代は生き残れない。
でも、私も徳川は好きになれない。
 


posted by 虚空に踊らん at 17:26| Comment(14) | TrackBack(0) | 2020年
この記事へのコメント
まあ謙信は柴田の鉄砲隊に槍兵で突っ込んで勝利してたけどな
Posted by at 2020年11月06日 18:10
武田氏は家来の暴走に振り回される歴史を繰り返してる。信玄ですら御するのに苦労してる。息子に部下を抑える器量があったかどうかは疑問だよ。

信玄の家来を褒めたたえる帰来があるけど、実態は言うこと聞かない部下を褒めてなだめてるんだよ。
Posted by at 2020年11月06日 20:43
勝頼だと諏訪家っていうハンデがね。カリスマが無さ過ぎる。
Posted by at 2020年11月06日 20:46
戦いを回避すれば家臣団は瓦解してしまう
戦いに負けても崩壊・・・つまり勝頼に残された道は
Posted by at 2020年11月07日 08:48
>武田氏は家来の暴走に振り回される歴史


信玄の父である信虎がそれを解消しようと武田家の中央集権化を図ったのに、
信玄と一部重臣達に反旗を翻されて追放されてしまった。
Posted by at 2020年11月08日 13:07
おやいつの間に
記憶のかぎり8年か9年前に見てた気がするサイトが復活してるのはちょっと嬉しい
Posted by at 2021年03月26日 10:06
あと鎌倉から続いているといえば相馬氏
当代の殿は相馬からの避難生活を余儀なくされたけど広島で再起を図り、元相馬民を800人ぐらい誘致して支援しながら頑張ってるよ
Posted by at 2021年03月26日 10:12
戦国時代の一番好きな戦いです
Posted by ワイルドG at 2021年04月24日 16:38
鉄砲を弾く盾を最前線において 徐々に詰めていけば其の内弾切れになってそこから騎馬隊が突っ込めばいい
Posted by at 2022年04月02日 00:42
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